2009年12月7日
12月2日(水)、民芸と地域文化の会の定例勉強会をひらきました。
今回は三代澤作品の調査と整理の他、松本クラフト推進協会の方を交えて「工芸の五月」イベント関連の打ち合わせを行いました。美術館とは別の側面から、三代澤の素顔を感じていただけるような企画です。こちらはまたあらためてご報告いたします。
さて、三代澤本寿の代表作品に、日本を代表するファッションデザイナー森英恵さんの銀座サロンの屏風がありますが、所蔵数点のうちの一点を今回お借りすることができました。経年変化による傷みがみられましたが、長きにわたり三代澤の仕事を支えた木工の山村幸夫さんによって見事に修復され、堂々よみがえりました。
昭和40年ごろ、三代澤の屏風はサロンのインテリアとしてだけではなくモデルさんの背景としてファッション誌面を飾るなど、多岐にわたりお使いいただいたようです。大胆な幾何学模様の四曲一双屏風、その調和と無限の広がりを美術館でご観賞下さい。
2009年11月10日
11月4日(水)、民芸と地域文化の会の定例勉強会をひらきました。着物・帯・のれん・飾布・手拭い等、布類の作品の鑑賞と整理をしました。今回初お目見えの着物と帯は、戦前戦後を通じて制作されたもの。1作ごとにその上質な生地をはじめ型染めの繊細さ、デザインのモダンさなど、見事な衣の世界に一同感嘆しました。昭和30~40年代、民芸のお仲間の女性群は信州紬の着物をまとい、三代澤さんの染め羽織や帯をしめ、袋物をさげて勇んで全国大会へ。ファッションモデルよろしく闊歩していけば、帰るときには幾つかの注文を受けてこられたとか・・・。このエピソードが解る想いでした。来春の三代澤本寿展のことが知られていくとともに「作品愛用していまーす」「ごくあたり前に家になじんでいまーす」など、嬉しい声もかかるようになりました。
2009年10月24日
10月13日(火)、民芸と地域文化の会の定例勉強会をひらき、染絵作品の整理をしました。染絵は布や和紙に型染めした絵画です。モチーフは草花・鳥や蝶などの生物・風景・異国の人物と多岐にわたり、心浮き立つような鮮やかな色彩が印象的です。一部フォトギャラリーにおさめられていますのでご覧ください。
企画展まであと6ヵ月。先頃写真撮りのため、美術館スタッフによって屏風類が運ばれてゆきました。春に向け着々と準備が進められています。
2009年10月18日
雑誌「フィガロジャポン」10月20日号、「手仕事の雑貨を探しに」の「職人、作家たち
いち押しの松本美味アドレス」に三代澤本寿が紹介されました。(以下記事転載)
民芸の型絵染に囲まれて絶品カレーを。
<デリー>
芹沢銈介らに出合い民芸運動に携わった三代澤本寿さんを父にもつご主人が奥さんと始めたカレー屋。「町は変わっても変わらないカレーの味にほっとしてくれるお客さんも多い」という。店内には三代澤さんの型絵染作品が飾られ、松本の民芸を盛り上げた三代澤さんの思いが、いまもこの店に引き継がれている。
2009年9月20日
9月16日(水)、民芸と地域文化の会の定例勉強会をひらきました。
今回は、三代澤本寿が染めた染紙を使用してメンバーそれぞれが作った作品を、お互いに披露しました。うちわ、コースター、ぺン立て、小箱にはるなど、模様や色の組み合わせに趣向をこらした楽しい小物類が集まりました。
和紙の性質や技術面の工夫など、実際に製作してみて初めて分かったことが多々あり、型絵染作品への理解を深める上でも意義ある実習となりました。
また、松本を中心に、街中で見られる三代澤デザインをピックアップする作業をしました。今後の展開については、具体的な部分の話し合いに入りました。
当初の予定を変更した内容でしたが、活発に意見が交換され、改めて心を寄せ合わせた1日となりました。
2009年8月28日
2009年7月25日
7月22日(水)、民芸と地域文化の会の定例勉強会をひらきました。
三代澤の海外研修の旅の記録をたどりました。また、著作物・装丁の調査をしました。
今回特に大きな収穫だったのは、1992年フィンランドでの展覧会の内容が詳しく分かったことです。エスポー市のタピオラ文化センターには約100点が展示され、子供から年配の方まで連日大入り、現地の新聞やテレビでも大きく紹介されました。美術関係者らも鑑賞に訪れ、「これまで抱いていた日本絵画のイメージと全く違った感覚の作品に感嘆した」と取材記事に書かれています。
北欧デザインで有名なフィンランド。暮らしの中に美意識が浸透している国の人々に評価を受けた、新たな一面を知ることができました。
2009年7月20日
7月19日(日)の「市民タイムス」情報ナビに、第2集絵はがきが紹介されました。
(以下抜粋)
松本市を拠点に民芸や地域文化を調査、学習する「民芸と地域文化の会」はこのほど、松本の民芸運動をけん引した染色工芸作家の三代沢本寿の作品が題材となった絵はがきの第二集を発行した。第一集と同様に、八枚組の二パターンのセットを用意した。
小鳥が表紙になったAセットは、「高山植物」「千曲川」「ボレロ」などが、アザミが表紙のBセットは、「城」「あづみ野」「アンデスの遺跡」などが、それぞれセットになっている。どの作品も素朴さが印象的だ。
三代沢は、明治四十二(1909)年、松本に生まれ、平成十四年に没した。昭和十(1935)年に日本古来の技法によって創作する型絵染め作家を志して、技術保持者となった。型絵染めに中国の技法を取り入れて、和紙に染色する技術を開発した。来年、企画展「三代沢本寿展(仮称)」が松本市美術館で開かれる。
2009年7月13日
信濃毎日新聞「タウン情報」2009年7月11日(木)紙面に、絵はがき第2集販売の記事が掲載されました。(以下抜粋)
松本市などの有志でつくる「民芸と地域文化の会」は、同市出身の型絵染作家、三代沢本寿さん(1909~2002年)の作品を絵はがきにし、同市内で販売を始めた。昨秋、8枚組を2種類、各500部作ったところ、半年で完売。人気を受け、新しい図柄で8枚組を2種類、各1000部作った。
今回の絵柄は、雑誌の表紙絵、びょうぶ、のれん、染め絵など、三代沢さんが残した数多くの作品から16種類を選んだ。千曲川や安曇野の風景、高山植物などのほか、「アンデスの遺跡」など海外の風景も。ラベルの「ボレロ」やリストの「ラ・カンパネッラ」をテーマにした抽象画もあり、クラシック音楽愛好家という一面も知ることができる。
市美術館は来年4~6月、三代沢さんの業績を紹介する企画展を開く予定で、現在準備を進めている。会員は「開催前に三代沢作品を広く知ってもらい、気運を高めたい」との願いも込める。
2009年7月12日
2009年6月14日
信濃毎日新聞「タウン情報」2009年6月11日(木)1面に、【幻の「松本民芸ガラス」を訪ねて 職人の心伝え輝く】と題して三代澤本寿がデザインした吹きガラスの記事が掲載されました。(以下抜粋)
「工芸の五月」などで、かつての松本の民芸活動の再評価が進む中、「松本民芸ガラス」と呼ばれたガラス作品に光が当たっている。1960年代の10年ほど一点一点職人が吹いて作った。今ではほとんど目にすることができない希少品、松本の「隠れ遺産」と言う人もいるガラス作品を追った。(松尾尚久)
松本民芸ガラスをデザインしたのは、松本の民芸運動をけん引した型絵染作家、三代沢本寿(1909-2002年)。三代沢の三男、友寿さんが松本市中町で経営するカレー店「デリー」には、花瓶が2本残る。同市埋橋の自宅には、花瓶とグラスが3つずつ。さらに、デザイン帳が1冊あり、花瓶やグラスなどのデザインが鉛筆で描かれている。「おやじはガラスが好きだったんです」(友寿さん)。(以下略)
2009年5月19日
三代澤本寿 型絵染作品絵ハガキ 発売中
2種類 8枚組 各800円(税込)
松本市内各所にてお求めいただけます
・松本市美術館 ・松本市博物館 ・松本民芸館 ・旧開智学校 ・時計博物館
・百趣 ・松田屋 ・工芸マエストロ 等
★ご好評につき残りわずかとなりました。近々第2集を発売予定です。
2009年 5月14日
---タウン情報誌 記事より---
信濃毎日新聞「タウン情報」2009年5月14日(木)紙面、【工芸の五月】「街中に息づく民芸」に、三代澤本寿ゆかりのお店が紹介されました。(以下抜粋)
<中町通り~女鳥羽川沿い>
蔵の街でも知られる中町通り。ここは民芸とのかかわりが深い。(中略)型絵染作家の三代沢本寿の子息が経営し三代沢作品で店内が彩られた飲食店デリー…。今でも松本の民芸中心地といった風格がある。
<上土~大名町通り>
女鳥羽川を渡ると、大正ロマンがキャッチフレーズの上土。(中略)飲食店しづかの門ののれんは、「三代沢本寿さんに描いてもらいました」と、おかみの市東浩子さん。(中略)大名町では、手工芸品店の百趣で使う黄色の包装紙と紙袋が、三代沢のデザイン。依頼した経営者の石曽根博男さんは「『派手過ぎでは』と言ったら、三代沢さんに怒られたよ。東京駅でも一番目立つ紙袋と言われた。30年以上、ずっと使ってる」と振り返る。
<本町通り~松本駅前>
パルコ通りのちくま工芸店は、屋根の赤れんが、欄間の色ガラス、看板に至るまで、三代沢デザイン。駅前の土産品店松田屋では、三代沢デザインの紙袋が、店内の装飾品のように飾られていた。(補足:実はシャッターにも三代沢デザインが描かれています)
<ものづくりの精神伝え>
こうしたデザインや工芸品が、40年、50年と使われているのは、親しみやすく、味わいがあり、美しいからだけではなさそうだ。(中略) 丸山太郎、三代沢本寿、池田三四郎は、店を良くしようと意気込む若者や仲間に頼まれれば、無償で手を貸し、親身に相談に応じた。その恩義を、街の人々は今も忘れずにいる。地域で生きる人々が、年長者に教わりながら、助け合い、ひたむきにものづくりに励む。松本には、そうした民芸の精神が今も確かに息づいている。
2009年5月9日
---タウン情報誌 記事より---
信濃毎日新聞「タウン情報」2009年5月9日(土)紙面、【工芸の五月】「松本市で生誕100年特別展 民芸に光 丸山太郎の生涯」の<手仕事復興>の項目に、三代澤本寿も紹介されました。(以下抜粋)
城下町・松本は職人の街でもある。江戸時代から、(中略)職人たちの手仕事に支えられた加工品が数多く出回った。(中略)やがて近代化や戦争の影響などで、手仕事は衰退していく。
それに再び光を当てたのが民芸運動だった。先頭に立ったのが、丸山と、源池小時代の同級生で型絵染作家の三代沢本寿(1909-2002年)、松本市長秘書で中町に住んでいた下条寛一(1909-97年)の3人だった。
45年2月、柳宗悦ら民芸の中心人物と深く通じていた三代沢が帰郷。翌年、3人は日本民芸協会長野県支部を結成した。47年からは、市の支援を得て、陶芸の浜田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチ、染織の芹沢銈介、柳悦孝、版画の棟方志功などを呼び、毎年、各種技術講習会を開いた。
講習会には、青年団や婦人会、木工業者らが参加。松本紬やホームスパンの織り手、家具、小木工、建築、拓本の職人たちが次々と生まれ、それぞれの手仕事をよみがえらせていった。